[01] はじまりの写真

江口弘美 Eguchi Hiromiは、1935年、福岡県八女郡岡山村(現在の八女市岡山)に生まれた。

県立八女高等学校を卒業後、九州大学農学部へ入学。ウェブサイト「九州大学文書館」掲載の「九州大学年表」 を見ると、彼の学部在学中だった1958年に「農学部環境自動制御温室73坪」が竣工しており、当時同学部で環境制御システムを備える実験施設を用いた生物研究への機運が高まっていたことを窺わせる。

江口は同大学院農学研究科へ進み、植物研究を専門とする研究者の途を歩み始めた。

やがて「植物反応に基づく環境制御に関する研究」により日本生物環境調節学会の第一回学会賞を受賞(1977年)、さらに後年に「環境制御システムの開発と植物環境反応解析に関する研究」という題目で日本農学賞を受賞(1991年)するなど、ファイトトロニクス(生物環境調節研究)という分野で業績を着実に残していく彼は、また同時に、写真の途を歩んだ。

『カメラ毎日』1968年6月号、掲載作「初冬の米塚」
1968年6月号『カメラ毎日』掲載
「初冬の米塚」

写真に打ち込みだした1968年前後

このようにホビーとしてのカメラ、写真の愉しみを少年期からたっぷりと味わっていた彼が、さらに踏み込んで、魂の求めに強く促されるように写真に打ち込みだすのは、1968年前後からのこと。

当時江口は、久留米の農林省園芸試験場に研究員として勤務、博士論文に取り組んでいる最中でもあったはずだ。(妻・陽子さんとの間に長男、次男が生まれ、子どもたちのいる暮らしが始まっていくのとまさに同時進行で、彼は俄然、写真の作品制作に熱中していく。)

何がそうさせたのだろう?
情熱に火をつけたのは何だったのか?

一つだけ言えそうに思えることがある。

その当時、発行されていた月刊の写真雑誌『カメラ毎日』(毎日新聞社刊)という開かれたメディアへ、江口は惹きよせられた。

60年代後半から70年代にかけて、この雑誌が生きた表現の交差しあう場としてもっとも活気溢れる一時期を迎えていたことは確かであり、作品投稿者としてこの場に馳せ参じるチャンスをつかむことから、写真家江口弘美が動き出すのだ。

まず、『カメラ毎日』1968年6月号、掲載作「初冬の米塚」から。

鮮烈なカラーの不可思議でもあるこの一枚から、写真家としての探究がスタートする。

著者 写真評論家 大日方欣一 Obinata Kinichi

フォトアーキビスト、写真史研究者。1960年東京都府中市生まれ。主な編著『出会いとコラボレーション 大辻清司の写真』(フィルムアート社)、『今井祝雄タイムコレクション』(水声社)、『榎倉康二〈予兆〉』(東京パブリッシングハウス)、『牛島智子 ホクソ笑む葉緑素』(九州産業大学アート&デザイン研究センター)ほか。主な企画展「かたちとシミュレーション 北代省三の写真と実験」(川崎市岡本太郎美術館)、「生誕100年大辻清司 眼差しのその先」(武蔵野美術大学美術館図書館)、「風景への旅」「もしも… 大辻清司の写真と言葉」(九州産業大学美術館)ほか。2015年より福岡市東区在住、九州産業大学芸術学部教授。